400年熟成観光地 肥前やきもの圏

日本遺産

構成文化遺産

04有田磁器(柴田夫妻コレクション)

01柿右衛門窯跡

02有田内山伝統的建造物群保存地区

05蒲原コレクション

03初代金ヶ江三兵衛墓碑 陶山神社鳥居 陶祖李参平之碑

06染付山水図輪花大鉢

12旧犬塚家住宅伊万里津

13旧戸渡嶋神社灯籠・手水鉢

07染付白鷺図三脚皿

09色鍋島

08柿右衛門(濁手)

10大川内鍋島窯跡

11大川内山

14嬉野の磁器窯跡群

15志田焼の里博物館(旧志田陶磁器株式会社工場)

構成文化遺産

19陶祖神社 釜山神社

16飛龍窯

17三川内の磁器窯跡群

20三川内の磁器製作技術

18三川内三皿山

21肥前波佐見陶磁器窯跡

27肥前陶器窯跡

28茅ノ谷1号窯跡

22智惠治窯跡

24福重家住宅主屋・旧福幸製陶所

23陶郷・中尾山

25波佐見の生地成形技術

26冷汁

29天神森窯跡

30葭之本窯跡

33陶祖祭 無縁塔祭

34窯業道具の供養

31中野窯跡

35やきもの市

32肥前磁器窯跡

01柿右衛門窯跡

有田の南川山にある17世紀後半に操業した連房式登り窯の磁器窯跡です。後に続く南川原窯ノ辻(なんがわらかまのつじ)窯とともに「柿右衛門(かきえもん)様式」の優品を中心的に生産しました。

02有田内山伝統的建造物群保存地区

白漆喰の伝統的な町屋や洋館など、江戸時代後期から昭和期の特徴的な建物が連なる有田町東部の地区です。有田の窯業の隆盛は、有田に裕福な町人文化を育て、中でも磁器生産の中心地であった内山(うちやま)地区には多くの窯元ややきもの商家が建ち並びました。文政11年(1828)に大火にみまわれましたが間もなく復興され、近代になると洋風建築も加わりました。

03初代金ヶ江三兵衛墓碑 陶山神社鳥居 陶祖李参平之碑

有田町内の墓地には、有田焼の陶祖とされる金ヶ江三兵衛(李参平)の墓碑が残っています。また、陶祖を祀る陶山神社には、染付で全体に唐草文様が施された磁器製の鳥居(明治21年(1888)奉納)があり、神社の山の中腹の有田町内が一望できる場所には、顕彰碑「陶祖李参平之碑」が有田焼創業300 年を記念して大正7 年(1918)に造立されています。

04有田磁器(柴田夫妻コレクション)

網羅的・体系的に収集された有田磁器のコレクションです。柴田明彦・祐子夫妻から佐賀県立九州陶磁文化館に寄贈され、同館で常設展示されています。点数は10,311 点に及び、磁器生産の始まった江戸時代初期から幕末に至る有田磁器を中心に、その歴史的変遷がわかるように、様々な種類の作品が網羅的に揃っていることが大きな特徴です。

05蒲原コレクション

江戸時代にヨーロッパに輸出された、華やかで豪華絢爛な金襴手様式の作品を中心とする有田焼のコレクションです。有田町出身の蒲原権(かんばらはかる)氏がヨーロッパ各地で収集し、有田町に寄贈されました。 現在は計101点が佐賀県立九州陶磁文化館で常設展示されています。

06染付山水図輪花大鉢

有田の山辺田窯で1640~50 年代に作られた染付の優品です。有田磁器の技術革新を示す名品とされます。(佐賀県立九州陶磁文化館所蔵)

07染付白鷺図三脚皿

伊万里の大川内山に置かれた佐賀藩の御用窯で1690~1710年代に作られた鍋島焼(鍋島染付)の傑作です。佐賀県立九州陶磁文化館所蔵です。

08柿右衛門(濁手)

有田の陶工酒井田家では、正保4 年(1647)に初代柿右衛門が赤絵(色絵)の焼成に成功し、17世紀後半には濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の素地に余白をいかして非対称の構図で上絵を配した「柿右衛門(かきえもん)様式」を確立しました。

09色鍋島

伊万里の大川内山に置かれた佐賀藩の御用窯では、最高級の材料と技術者によって鍋島焼と呼ばれる最高級品が生産されました。中でも染付の藍に赤・緑・黄の色絵を施す色鍋島はその代表的な様式です。

10大川内鍋島窯跡

佐賀藩が肥前磁器の製作技術を結集し1660 年代頃に伊万里の大川内山(おおかわちやま)に設置した藩営の御用窯跡です。窯跡のほか、物原、御細工場跡、藩役宅跡、陶工屋敷跡群など古絵図にある遺構や地形が良好に残っています。ここで生産された磁器(鍋島焼)は、将軍家への献上や諸大名への贈答を目的とした最高級品であり、一般市場に出回ることはなかったといわれています。

11大川内山

1660年代頃に鍋島藩直営の御用窯が築かれた伊万里の大川内山(おおかわちやま)地区では、現在も30の窯元が軒を連ねています。急峻な山々に囲まれた狭い谷間にトンバイ塀やレンガ造りの煙突、窯元が建ち並び、その背後に青螺(せいら)山がそびえる山水画のような幽玄な風景は「秘窯の里」としての雰囲気を醸し出しています。

12旧犬塚家住宅伊万里津

文政8年(1825)に伊万里津に建てられたやきもの商家の旧宅を修理復元したものです。伊万里津はやきものの積出港として栄え、千軒在所といわれるほど数多くの白壁土蔵造の商家が建ち並んでいました。現在、この建物は「伊万里市陶器商家資料館」として、かつての伊万里津の賑わいや商いの様子を伝えています。

13旧戸渡嶋神社灯籠・手水鉢

文化11年(1814)に海上安全守護のため、やきものの積出港として栄えた伊万里津の戸渡嶋神社に寄進された灯籠と手水鉢です。石灯籠は筑前商人関係者から、手水鉢は紀州商人からの寄進で、伊万里津を拠点としたやきものの流通に全国各地の商人が深く関わっていたことを示しています。なお、戸渡嶋(ととしま)神社は現在、伊萬里神社に合祀されています。

14嬉野の磁器窯跡群

17世紀以降の嬉野市内の吉田や志田、不動山で営まれた磁器窯跡群で、いずれも連房式の登り窯です。17世紀から操業した吉田焼の窯では中国の呉須赤絵に似せた色絵磁器を生産し、一部は東南アジアにも輸出されました。1700年頃から始まった志田焼は、幕末には5基の連房式登り窯によって染付を中心とした皿類が大量に生産されました。不動山の窯跡は確認されているだけで5基を数え、17世紀後半に芙蓉手の染付皿や青磁製品などが焼成されました。

15志田焼の里博物館(旧志田陶磁器株式会社工場)

嬉野で大正期から昭和50年代まで操業した志田陶磁器株式会社の工場です。陶土製造から焼成までのすべての工程を大規模に行っていました。志田は波佐見と同様に庶民向けの器の大量生産供給地であり、工場跡には国内最大級の石炭窯も残っています。現在は「志田焼の里博物館」となっており、原料加工から焼成までの作業工程など往時の姿を見ることができます。

16飛龍窯

陶器(唐津焼)の一大産地であった武雄市黒牟田地区に陶芸の里武雄の拠点として作られた、世界一の容積を誇る連房式の登り窯です。飛龍窯のある竹古場キルンの森公園内には、利用可能な登り窯「向窯」もあり工房ではろくろや楽焼体験ができ、陶芸教室も行われています。毎年2 月には、数千本の灯ろうを一斉に点灯させる「TAKEO・世界一飛龍窯灯ろう祭り」が開催されます。

17三川内の磁器窯跡群

平戸藩では、寛永10年(1633)に針尾島(佐世保市)で磁石場が発見されると、長葉山窯で初めて磁器の生産が行われました。慶安3年(1650)には中野窯の陶工たちを三川内皿山に移し、藩営の御用窯の体制を強化しました。17世紀後半から稼働した御用窯の三川内東窯跡、三川内西窯跡は連房式登り窯で、その操業は昭和期まで続きました。また、江永皿山、木原皿山でも民窯で磁器の生産が行われ、現在でもそれらの痕跡が残されています。

18三川内三皿山

三川内焼の産地であった三川内、江永、木原の三地区の皿山です。窯跡やトンバイ塀、レンガ造りの煙突のほか、古い家並みや昔ながらの道筋が残り、現在でも窯元が建ち並びます。中でもその中心である三川内皿山には、平戸藩の御用窯であった東窯・西窯跡のほか、その優れた技術を伝承するために明治期に開設された三川内陶磁器意匠伝習所跡や、昭和期に操業した今由(いまよし)製陶所窯跡などが残ります。

19陶祖神社 釜山神社

三川内焼の発展に貢献した先人を敬い祀る神社です。陶祖神社には平戸藩御用窯二代目の今村弥治兵衛(如猿)が、天満宮内の釡山(かまやま)神社には伊万里から陶工たちを連れて移って来たといわれる三川内の陶祖の一人、高麗媼(中里エイ)が祀られています。

20三川内の磁器製作技術

三川内の平戸藩御用窯で高級品を生産するため培われた技術です。現在も三川内の窯元に受け継がれ、様々な製品が生み出されています。竹箆(たけべら)等で切り取り格子や花弁の模様など細かな装飾を作り出す透かし彫りや、卵の殻のように透けるほど薄く削る卵殻手(薄胎)は三川内を代表する技法です。このほか、菊花飾(きっかかざり)細工や捻り細工、置き上げなどの細工技術や器の内部に繊細な山水画を施した内山水絵技術、松に牡丹と戯れる唐子(からこ)を配した図柄の染付技術など多様です。

21肥前波佐見陶磁器窯跡

波佐見で16世紀末から近代にかけて操業した窯跡です。いずれも連房式の登り窯で、現在までに36基が確認されています。波佐見焼の窯の大きな特徴の一つが、大量生産を可能とした世界最大級の巨大な登り窯です。「くらわんか手」と呼ばれる簡素な磁器は江戸時代後期を中心に国内各地に流通し、高価だった磁器の大衆化に大きく貢献しました。また、明治期に開窯し改修を経ながら戦後まで操業した智惠治(ちえじ)窯跡は、窯の天井部まで現存しており、伝統的な登り窯の構造を伝える貴重な窯跡です。

22智惠治窯跡

波佐見で16世紀末から近代にかけて操業した窯跡です。いずれも連房式の登り窯で、現在までに36基が確認されています。波佐見焼の窯の大きな特徴の一つが、大量生産を可能とした世界最大級の巨大な登り窯です。「くらわんか手」と呼ばれる簡素な磁器は江戸時代後期を中心に国内各地に流通し、高価だった磁器の大衆化に大きく貢献しました。また、明治期に開窯し改修を経ながら戦後まで操業した智惠治(ちえじ)窯跡は、窯の天井部まで現存しており、伝統的な登り窯の構造を伝える貴重な窯跡です。

23陶郷・中尾山

波佐見焼の産地として江戸時代初期から現代まで連綿と続く窯業集落です。世界最大級の登り窯跡や、明治期のやきもの卸商家である中尾山うつわ処赤井倉のほか、レンガ造りの煙突やトンバイ塀などが残り、現在でも窯元が操業を続けています。

24福重家住宅主屋・旧福幸製陶所

波佐見で磁器を生産した福幸(ふっこう)製陶所とその経営者である福重家の建物群で、いずれも昭和初期の築造です。「福重家住宅主屋」及び「旧福幸製陶所事務所」・「旧福幸製陶所細工場」・「旧福幸製陶所絵書座」からなり、波佐見焼を代表する製陶工場の様相を伝えています。現在、旧福幸製陶所の建物群はカフェや雑貨店として活用されています。

25波佐見の生地成形技術

波佐見における日用磁器の生地(素焼き前の器)を成形する技術です。江戸時代、波佐見では蹴轆轤(けろくろ)による生地の成形技術を高度化させ、磁器の大量生産を可能としました。その技術を背景に、近代以降には鋳込み成形や機械轆轤成形など新たな技術を導入し、肥前における生地生産の中核として発展を遂げました。現在も肥前一帯に生地を供給し続け、肥前磁器生産の「裏方」的役割を担っています。

26冷汁

波佐見に伝わる伝統的な郷土料理で、キュウリなどの夏野菜を使った味噌味ベースの汁を御飯の上にかけたものです。窯に薪をくべ火力を調整する窯焚き職人たちが暑い夏場に好んで食したといわれています。

27肥前陶器窯跡

16世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群です。肥前の窯業の歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島 の技術を導入した陶器(唐津焼)の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まります。間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことにより、その生 産地は肥前各地へと拡大しました。窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り窯です。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本初の磁器の焼成が開始されることとなります。

28茅ノ谷1号窯跡

16世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群です。肥前の窯業の歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島 の技術を導入した陶器(唐津焼)の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まります。間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことにより、その生産地は肥前各地へと拡大しました。窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り窯です。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本初の磁器の焼成が開始されることとなります。

29天神森窯跡

16世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群です。肥前の窯業の歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島 の技術を導入した陶器(唐津焼)の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まります。間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことにより、その生 産地は肥前各地へと拡大しました。窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り窯です。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本初の磁器の焼成が開始されることとなります。

30葭之本窯跡

16世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群です。肥前の窯業の歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島 の技術を導入した陶器(唐津焼)の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まります。間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことにより、その生 産地は肥前各地へと拡大しました。窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り窯です。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本初の磁器の焼成が開始されることとなります。

31中野窯跡

16世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群です。肥前の窯業の歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島 の技術を導入した陶器(唐津焼)の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まります。間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことにより、その生 産地は肥前各地へと拡大しました。窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り窯です。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本初の磁器の焼成が開始されることとなります。

32肥前磁器窯跡

17世紀前半の磁器生産初期段階に操業した窯跡群及び泉山磁石場跡です。窯跡はいずれも連房式登り窯です。 磁器は当初、陶器窯の中で陶器とともに焼成されましたが、寛永14年(1637)に佐賀藩が有田一帯の陶器窯を廃して窯場の整理・統合を行いました。 これを境に有田は磁器専門の産地へとシフトすることになりました。

33陶祖祭 無縁塔祭

有田、波佐見、三川内の各地域では、それぞれの陶祖を敬い偲ぶ陶祖祭(陶祖神社祭)が毎年5月に営まれています。また、伊万里の大川内山では毎年4月に、江戸時代の陶工たちを祀る供養塔で無縁塔祭が行われ、先人の偉業をたたえています。

34窯業道具の供養

三川内では毎年5月にやきものの焼成に使う円盤型の使い捨ての台「はまぜん」の供養が、また伊万里では毎年11月にやきものの絵付けに使用する筆の供養が行われています。

35やきもの市

肥前窯業の各産地で行われるやきもの市で、例年多くの来場客で賑わっています。中でも有田町で毎年4月29日~5月5日の一週間にわたって行われる有田陶器市は、明治29年(1896)の有田五二会陶磁器品評会以来100年以上の歴史を有し、大正期から現在の陶磁器廉売市の形が加わりました。
<有田町>有田陶器市(4,5月)、秋の有田陶磁器祭り、有田ちゃわん祭り(11月)
<伊万里市>春の窯元市(4月)、鍋島藩窯秋祭り(11月)
<嬉野市>肥前吉田焼陶器まつり(4月)、吉田焼辰祭り窯元市(11月)
<唐津市>唐津やきもんまつり(4,5月)、唐津焼秋の窯元ツーリズム(11月)
<武雄市>武雄の紅葉と窯元巡り(10~11月)
<佐世保市>はまぜん祭り(5月)、みかわち陶器市(10月)
<波佐見町>波佐見陶器まつり(4,5月)、桜陶祭(4月)